すぐ人のせいにしてしまうのをやめる。そのクセを直す考え方とは?
「親がちゃんと自分のことを理解して教育してくれなかったから、こんな性格になったんだ」
「あの時ちゃんと言ってくれれば、こんなことにならなかったのに」
「今回の失敗は〇〇が確認を怠ったからだ」
このように人のせいにしていませんか?
確かにその人にも原因があるかもしれません。
しかし、自分には非が全くないのでしょうか?
私も、
「アイツがあんな話さえしなければ、こんな損することなかったのに」
という出来事があり、ずっとモヤモヤしていました。
でも、そうやって人のせいにしてイライラしてても、何も得することはないことに気づきました。
そして、何よりも『ダサい』なって思うようになりました。
まずは、「他人のせいにしても何もいいことはない」ことを理解しましょう。
こんな寓話があります。
【悪者ぞろいの家】
ある村の話である。2軒の家が隣り合わせで暮らしていた。
1軒の家は7人家族であったが、7人はいたって仲むつまじく、争いごと一つ起きなかった。もう1軒の家は3人家族でありながら、毎日ケンカが絶えず、みんながおもしろくない日々を送っていた。
あるとき、3人家族の主人が、7人家族の家を訪ねて聞いた。
「お前さんの家は家族も大勢いるのに、ケンカ一つしたことがないと聞く。わしの家はたった3人の家族だというのに、毎日ケンカが絶えず、修羅場のような有様だ。
どうしてお前さんの家は、そう仲良く暮らせるのです?」
7人家族の主人は、
「それは、こうなんでしょう。私どもの家は悪者ばかりの寄り合いですのに、あなた様の家は善い人ばかりのお集まりだからなんでしょう」と言う。
3人家族の主人は合点がいかなかった。
「どうもわかりませんね。7人も悪者が揃っていれば、いよいよケンカが募るはずでしょう。悪者ばかりだからケンカがないというのは、どういうわけです?」
「いや、何も難しいことはありませんよ。
例えばですね、火鉢が転んでも、茶碗が割れても、みなが
『それは私が悪かった。いや、私が不注意だった。いやいや、私が軽率だった』
と、お互いがわれ先に悪者になる競争をします。だから、ケンカの起こりようがないのです。ですので、あなたの家はこれと反対で、何か間違いがあると、みなさんが善い人になろうとなすって、
『俺は知らぬ、貴様が悪い』
とお互いが罪のなすりつけあいをするのでしょう。火鉢が転んだとしても、
『貴様がこんなところに火鉢を置くから、俺が蹴倒したのも無理はない。暗がりの部屋に、ものを言わぬ火鉢を置くなんて馬鹿がいるものか』
と善い人になろうとするに違いない。
茶碗が棚から落ちて割れても、
『もともと棚の作りが悪いからだ。棚に置いた俺に落ち度はない。誰がこんな粗末な棚をつくったんだ?』
と叱りたて、自分の罪を逃れようとするに違いない。
だから、ケンカが絶えることはありません。私の家では競って悪者になり、あなたの家では競って善い者になろうとする。その結果、私の家では争いごとが起こらず、あなたの家では争いが絶えないのでしょう」
こう言われて、3人家族の主人はなるほどと合点し、目を覚ました。それ以来、、互いに譲り合うことに努め、円満な家庭になったという。
とても深い寓話だなと私は思いました。
人のせいにして他人を責めれば、責められたほうはどう感じるでしょうか?
自分に当てはめてみればわかりますが、当然いい気持ちしませんよね。
仮に力強く責めて相手に折れさせたとしても、相手の心はあなたに対する恨みで燃えていることでしょう。
何かが起こったとしても、すぐ環境や人のせいにせず、
「自分に落ち度はなかったのか?」
「その時自分にできることはなかったのか?」
など、一度自分を見つめなおすべきじゃないかと私は思います。
他人を変えることは容易ではありません。
自分が柔軟に適応していくしかないのです。
NLP心理学における考えをまとめておりますので、ご参照ください。
繰り返しですが、人のせいにしても何もいいことありません。
自分の非を認めないことで思考停止することになるし、敵だってつくることになります。
まずは、自分が未熟なんだと認識しましょう。
自分が変わっていくことで周りも変わってくるし、何より自分の成長につながります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。